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山名酒造

山名酒造山名酒造の創業は1716年(江戸享保元年)。丹波但馬地域では最古の日本酒の蔵元で、現当主は11代目となります。3代前までは代々"又兵衛"の名を襲名し、吉見村の酒屋の又兵衛といえば当蔵のことでした。
近年は「奥丹波」という酒が最も人気が高く、中でも年末の搾りたては発売と同時に完売します。

山名酒造といっても、年間製造数量は約300石(一升瓶で約3万本)という小さな規模。大手メーカーの設備なら、当蔵の一年分を約半日で瓶詰めしてしまう程といえばお分かりになるでしょうか?
しかし、ひとつひとつの仕込みに顔見知りの農家の有機米や省農薬米を用い、昔ながらの手造りで醸造する、企業ではなく家業としての造り酒屋にささやかな誇りを持ち、一年の自然のサイクルの中で、物を作り出す至福を味わっております。

山名酒造株式会社
取り扱い品目
清酒(奥丹波)・酒かす・甘味果実酒(いちごワイン)
リキュール(柚子酒・すだち酒)・飲む麹

 

太陽の塔と10歳の僕

幼い頃の思い出はモノクロームと相場が決まっているが、何故だか38年前の夏は絵具箱をひっくり返したようなカラーで甦る。「コンニチワ、コンニチワ、セカイノクニカラー♪」。子供心にもハイカラな祭典に不釣合いに感じた節回しが巷に流れ、山里にも街の熱気が伝わってきた。
大阪の親戚の家に、ブルガリア館に勤める女性が下宿したこともあり、万博会場には何度か連れて行ってもらった。「月の石」目当てにアメリカ館の長蛇の列に並び、ソビエト館の天を切り裂くようなフォルムに目を見張ったが、もっとも強く印象に残るのは初めて外人に接したことだった。
田舎者の私と妹は会場内を彷徨い歩き、出会う外人に顔を赤らめながらサインをねだった。陽気な屋台のメキシコ人が調子に乗って何ページもサインするのに閉口し、スーツを着た大きな黒人と握手して手のひらの白さに驚いたりした。あの時のさくらのロゴマーク入りの手帳も今はもう手元にない。

興奮の夏は終わった。記憶はカラーからモノクロームに戻る。数年前に行方知れずになり、神隠しと噂された青年がひょっこり丹波の家族の元に戻った。「万博建てに行っとった。」 日航「よど号」事件、三島事件、沖縄国政参加選挙、日米安保継続......「走れコータロー」「知床旅情」の歌声の向こうに印象深い出来事のあった年。

70年代半ば、日本酒は国内需要の最盛期を迎え、その後減少の一途を辿る。今はピーク時の半分になり、全アルコール消費量の7%にすぎない。しかし、本物は生き残る。粗製乱造の減り続ける日本酒の中にあって、唯一増加しているのが純米酒だ。古来伝統のこの酒だけが未来を語っている。今夏も冷や囲いのタンクから旨い純米酒をお届けしたくて......

山名酒造店主 山名純吾

山名酒造